聖書は語るー明日のことを誇るな

箴言27章1節には次のように書かれています。

「明日のことを誇るな。一日のうちに何が起こるか知らないのだから」(新共同訳では何が生まれるかと訳されています。)


「世の中、一寸先は闇」と聞いたことがあります。確かに明日、何が起こるかわかりません。事故、災害、犯罪の被害者になるかもしれません。その逆に加害者になるかもしれません。上記の聖句はヤコブの手紙に引用されています。

よく聞きなさい。「今日か明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしよう」と言う人たち、あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。むしろ、あなたがたは、「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきです。ところが、実際は、誇り高ぶっています。そのような誇りはすべて、悪いことです。(ヤコブ4章13節ー16節)


私たちの命ははかないものです。いずれ、この世から「さよなら」する時がきます。富に満たされていたとしても富を天にもっていくことはできません。逆に、富が人生の落とし穴をつくってしまうこともあります。この不確かな世の中で最後まで残るものは何でしょうか。

「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。 洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。 そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。 二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。 だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。 このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。 だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」(マタイ24章35節ー44節)


最後まで残るのものはキリストの言葉です。天地万物が滅びる時が来ますが、それがいつのなのかは誰にも知らされていません。天使もキリストも知らされていないのです。父なる神の御心のままになされるでしょう。キリストを信じてる人も信じていない人も、すべての人間が分かるようにキリストは再臨されます。竜巻で私たちは驚いていますが、その日、その時は私たちにとって生まれて初めて見る光景になるでしょう。キリストが宣教されてからもう2000年も経つのにまだ再臨はありません。なぜでしょうか。

まず、次のことを知っていなさい。終わりの時には、欲望の赴くままに生活してあざける者たちが現れ、あざけって、 こう言います。「主が来るという約束は、いったいどうなったのだ。父たちが死んでこのかた、世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わらないではないか。」 彼らがそのように言うのは、次のことを認めようとしないからです。すなわち、天は大昔から存在し、地は神の言葉によって水を元として、また水によってできたのですが、 当時の世界は、その水によって洪水に押し流されて滅んでしまいました。 しかし、現在の天と地とは、火で滅ぼされるために、同じ御言葉によって取っておかれ、不信心な者たちが裁かれて滅ぼされる日まで、そのままにしておかれるのです。 愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。 ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。 主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。(2ペテロ3章3節ー10節)

神は一人でも多くの人間が悪魔の策略、罪から救われるように待っておられます。一人でも多く罪を悔い改めてキリストへの信仰をもつように待っておられるのです。しかし、その日、その時には「待ったなし」です。突然の竜巻よりも恐ろしさでやってくるのです。だから、その日、その時が来る前に心の準備、信仰の準備をしましょう。

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