罪の奴隷

すべての人が霊的に病気であることをここで説明してみましょう。「世の中が何か狂っていませんか」という疑問はわきませんか。実は、この何かおかしい世の中で人はもがき苦しむのです。

イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」 すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。(ヨハネ8章31節ー34節 )

罪の奴隷とはいったいどのような状態を指しているのでしょうか。このような状態の人は自分の欲望のままに生きます。ところがこの欲望を完全に満たすことは無理です。中古車を買えば新車が欲しくなりますし、 新車を買えばその半年後にはより新しい車を買いたくなります。 新しい家を買っても決して満足はしないでしょう。家の中にある家具や娯楽用品をそろえます。今はスピードの時代です。 買った翌日からそれらのものは古いのです。最新のものをそろえなければいけません。しかし、時として欲望は不安に変わります。 買ったものを最高の状態にしようと人は努力しますが、そこには常に不安が付きまとうものです。また、「他の人が私より良いものを持っていたらどうしよう」などとつまらないことを考えてしまうものです。このように、この欲望との追いかけっこは延々と続くのです。

このような事は目に見える物質的なものだけではなく、精神的なことにも言えます。人は幸福感を見つけようともがきます。ある人たちは、 既に述べたように物質的なもの、車とか家とかを買い幸福を満喫しようとします。しかし、この欲望との追いかけっこは満たされることはありません。また、ある人たちは人生の意味を見つけようともがきます。紀元前の昔から数多くの文明が起きた中で、人は幸福感、人生の意味について考えつづけてきたのです。現代でも「どのように幸福感を得るか」などの本は、毎年、 世界中で出版されているのです。 このように幸福の真理を求めるイタチごっこは際限なく続くのです。

また科学の世界で人々は、物理学、化学、生物学など様々な分野から、地球を含め、この宇宙でのあらゆる現象における真理を求めています。数千年もの間に科学は、物理学にせよ、化学にせよ、生物学にせよ、人間社会に大きく貢献してきました。(しかし、中には悪用されているのも事実です。) 科学をとおしていろいろな事実がわかってきました。さまざまな法則がある事がわかってきました。体内に個人特有のDNAといものがあると言う事実もはっきりしました。しかし、この真理の探究はちょうど終わりのない玉ねぎの皮をむいているの様なものです。むいてもむいても次から次へと出てくるのです。なぜなら、科学では説明できない力、事実があまりにも多すぎるからです。真理の探究にしても、 幸福感の求めて生きていくのも、欲望を満たすためにあらゆることをやっても、これらのことは決して満たされることのないことです。常に人は欲望と不安の狭間で生きていくことになります。

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