人間の罪

「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。 しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。 もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。 もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。」 (マタイ5章27節ー30節)  

2014年も早いものですでに3月半ばです。「光陰矢のごとし」とはこの時間の経過のはやさを感じて言われたのでしょう。年の瀬も初めも毎年感じることですが、信じられないような事件が次から次へと起こります。この世の不幸はほとんどが人間自らもたらすものではないでしょうか。
2014年3月に起きた事件。ベビーシッターに預けておいた子供が死んでいたという事件、なんと恐ろしいことでしょう。過去を振り返るとこのような不可解な事件が後を絶ちません。精神的な病とはいいませんが、人間の心がどこか狂っているからだと、わたしは思います。聖書はこれを罪と定めています。このように国の法律を犯してしまう人に限らず、わたしたち人間すべてが罪人であると聖書は定めています。国の法律は、行いとして目に見えなければ罪を問えません。目に見える形で罪が犯さなければ罪に問えないのです。邪悪なことを考えたり思ったりすることは罪とは言えないのです。

実は、人間の罪は心の中にある欲望から始まっているのです。自分の心の欲望にかられて女性にわいせつな行為をしたり、または窃盗を働いたりするのです。
自分の心を良く見つめてみましょう。ドロドロした感情、思いはないでしょうか。他の人に対する悪意はないでしょうか。そのような思いをもっていることに対して葛藤はないでしょうか。正しいことを行いと思っても出来ないことがあります。わかっていてもついつい悪いことをやってしまう、思ってしまうーそのようなネガティブな感情や行動は人間を苦しめます。この苦しみを次の聖句が語っています。

わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。 もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

自分自身で心を清めるのは不可能です。主イエスの言葉を聴いて祈ってみましょう。主イエスに清めていただきましょう。心の重荷が取り去られるはずです。今日も素晴らしい日でありますように。
2014年3月19日(木)

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