ぶどうの木

私はぶどうの木をじっくりと見たことはありません。 山梨県内を旅行中に横目で車窓から見たくらいのですが、 聞くところによると、ぶどうの木はとてつもなく大きくなるようです。 木の幹そのものが大きいのではなく、その幹からつながる枝が四方八方に伸びて、格子目状に造られた板の間にはびこっていると読んだことがあります。 その枝がどんなに離れていても、幹とつながっていれば実を結ぶのです。 枝の途中で害虫に食われて病気になっている枝は、うまく実を結ばないので切られてしまいます。

1世紀のイスラエルではぶどうが栽培されていました。そのぶどうに例えて、キリストと弟子(クリスチャン)の関係を説明しています。 

「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、 父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。 わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につ ながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れ ては、あなたがたは何もできないからである。 わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。あなたがたがわたしに つながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。 あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。

  イスラエルにぶどうの木があったのは、偶然とは思えません。キリストと弟子の関係をあらわすのに、これ以上完璧な例えはないのではないかとさえ思えてきま す。この話は二千年も前の話です。遠い昔の話ですがその真理は変わりません。主イエスは、天におられ地上にいるクリスチャンとつながっています。人間の時 と距離の観念をはるかに越えた想像を絶する神の力がそこにはあります。
 もしあなたがクリスチャンではないのなら、この素晴らしい世界を探訪してみませんか。

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