マタイの福音書5章6節 解説

「義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。」(マタイの福音書5章6節)

私がクリスチャンになる前、私の職場の上司が人間関係の妙を教えるために次のような言葉を言いました。「人にはそれそれ正義がある。」人にはそれぞれ言い分があり、自分なりの大義名分があるというのです。これは個人レベルでも国家間でも言えることですね。中国でも韓国でも日本でもそれぞれの正義、大義名分があるのです。
しかし、上記の聖句でキリストが言っている「義」とは、求める本人の正義ではありません。むしろ神の正義、つまり神が正しいことを行ってくださるのを待ち望んでいる人は幸いであり満たされらると教えているのです。現在、物質的に恵まれている日本に住む私たちは「飢え渇く」経験がないので、キリストが言っている真意が私たちの心に伝わっていないかもしれません。1世紀には、貧富の差が今よりも多く餓死で死ぬ人が大勢いました。おへそと背中がくっついてしまうほど飢えている、灼熱の太陽の下で砂漠を歩いていると想像してみましょう。キリストが言っている「飢え乾き」とは心の叫びです。心から神の御心、神の義を求める渇望の状態を指しています。
この世では小さな悪、大きな悪が横行しています。そのような世の中で、私たちが出来ることは神の正義を求めて祈ること、そして自らどんな小さな事でも善を行い神の栄光を称えることだと私は思います。
2014年1月24日(金)

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