マタイの福音書5章3節 解説

「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。」

日本語で「心の貧しい」とは、心が卑しいという意味に解釈される場合もありますが、イエス・キリストはそのようなことを言っているのでありません。新約聖書が書かれてた原語(ギリシャ語)を翻訳すると、この翻訳が一番適当だと思われますが、日本語の「心が貧しい」意味が本来の意味とは違いますのでここで解説します。「貧しい」の反対は満たされている状態です。つまり「心の貧しい」とは、心が満たされていない状態を指しています。自分に誇れるものは何もないような心情です。逆を言えば、自分の心が満たされ幸せだと思っている人には、キリストの言葉は何の魅力も感じないでしょう。自分には誇れるものなど何もないことを認める、このへりくだった気持ち、態度は、神の祝福を受けるための初め一歩といえます。しかし、このへりくだる態度、自分の非や過ちを認める態度は、多くの人にとって習得しがたいでしょう。人間、誰にでもプライドがあります。よく思われたいという気持ちがあります。さらに自分を実際よりも良く見せたいという虚栄心も働くかもしれません。
しかし、自分を真正面から見てこそ、さらに自分の至らない所を見てこそ、初めて本当の意味での向上心が生まれるのではないでしょうか。自分を偽る虚勢など必要ありません。わたしは、この「心の貧しい態度」に本来の人間の本分があるのではないかと考えています。自分と正直に向き合うこと、それは創造主なる神に向き合うことにつながります。
イエス・キリストは、「謙虚に自分を見つめ自分の過ちがどれほどのものか、よく目を凝らしてみてみなさい」と言っていると思います。わたしたちが本当に心の目を開いていれば、自分の愚かさや罪を認めることが出来るでしょう。あなたはどうでしょうか。聖書の言葉に耳を傾けてみてください。心の目、心の耳を開いて聴いてみましょう。(作成日:2004年1月11日)

聖書ーキリストは人生を変える サイト内検索 グーグル

Designed by CSS.Design Sample