人間 神のかたちとして

人は神に似せられた者として創造されました。他の動植物とは区別され魂をもった者として造られたのです。

神は言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」そのようになった。神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」(創世記1章24節ー28節)


創造主なる神と同じように考える力、感情、善悪を判断する力(人は状況によってその尺度を変えますが)が与えられています。人間の存在意義は、創造主なる神の栄光を現すところにあります。しかし、人間には罪という厄介なものを持っているのです。心の吹き出物とでもいえるでしょうか。人はこの罪によって苦しめ苦しめられるのです。イエス・キリストは、人を罪によってもたらされた苦しみから救ってくださいます。新しい人生の目的を与えてくださるのです。新しく生まれ変わるのです。イエス様の力によって身も心も新しくされましょう。

神のために生きる

その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。(2コリント5章15節)

人は誰でも自分自身が正しいと思い、自分のために生きていきます。それは人生そのものがその人のものだと考えているからでしょう。自分の利益を求め自分の人生の目的を捜し求めて生きていくのは、ごく自然といわれるでしょう。

しかし、ここに人間の過ちがあるのです。自分自身を正しいと考えること、そして自分自身のために生きていこうとする自己中心的な態度、自分の人生だから自分の好きなことを出来るはずだという思い込み・・・など、すべて人間が陥りやすい罪なのです。本来、命は誰から頂いたのでしょうか。親からと答える方がいらっしゃるかと思いますが、実は命は創造主なる神から頂いているのです。ところが人間は自分自身の名誉、名声を求めて神の教えに背いたのです。マルコ10章35節ー45節

イエス・キリストは弟子たちの態度と考え方をたしなめます。神に仕え人に仕えることこそ人生の本来の姿であると教えています。イエス・キリストは人間の自己中心的な考え方をくつがえし、神に仕えて人々に仕えることを自らなさったのです。その究極のわざがイエス・キリストの十字架なのです。イエス・キリストは、私たちのような愚かな者たちのために、自らすすんで恥をさらし私たちの身代わりになって十字架上で死なれました。

この方が十字架にかけられ死んだ目的は、わたしたち人間がもはや自分自身のために生きるのではなくて、主イエス・キリストのために生きるようにされることです。

もしあなたが生きる目的を探しているのなら、すぐそばにあるのです。主イエス・キリストが与えてくださいます。

聖書ーキリストは人生を変える サイト内検索 グーグル

Designed by CSS.Design Sample