聖書的視点ー日々、精一杯生きる

私の友人へ宛てた手紙です。個人的なことをだいぶ削除しています。

人生の道のりを社会的地位という尺度で10進んでいる人と1000進んでいる人には、人間の目からすれば大きな違いがあると思われがちですが、そんなことはないと私は考えています。1000進んでいる人も怠けていたらどうでしょうか。よくある話ですが、60才まで会社の重役として勤めていて、定年退職がすぐそこに迫っている時に汚職がばれてしまい、それまでの人生をメチャクチャにしてしまったと・・・この世の中ではよくあることではないでしょうか。

昨日まで積み上げてきたものはなかったものとして、今日一日を精一杯生きる・・・。これが、神が私たちに求めているものではないかと思います。

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ6章33節―34節)

昨日まで築きあげてきたもの、それがどんなに大きなものだとしても一瞬のうちに崩れてしまうことがあります。野球の素晴らしい選手でも練習もせずに過去の栄光にすがって現役生活を続けることはできません。日々の訓練によって技術と心と体が磨かれるのでしょう。

私たちは毎日が0からの出発という気持ちで生きるべきだと私は考えます。人生は長いという意味でマラソンに例えられますが、大きく違うことがあります。マラソンは42.195キロと距離も決まっており、ゴールもわかっていて決められたコースを走ります。でも人生のマラソンには、距離は設定されていません。突然終わるときもあります。またコースも決められていないのです。自分で選ばなければなりません。クリスチャンは、主キリストが用意してくれたコースをただひたすらゴールを目指して走ります。

また人生は長い旅路ともいえます。(Aさんがこちらにいた頃と電車はそれほど変わっていません。)人生を電車の旅路と考えたらどうでしょうか。電車は、目的地までの着く時間、どの線路を走るのか定められています。大きな事故がない限り定時で着くのです。それも運転は他人任せです。しかし、実際の人生は、電車のようではありません。運転は他人任せにはできません。自分が運転してどの線路を走っていくのか選ぶようになっています。故障があったり人身事故があったり途中でしばらく止まってしまうこともあるでしょう。ひどいときは、脱線して絶望的に感じる時もあるかもしれません。誤った路線を選んだために、時には路線変更もしなければなりません。かなり不安定な電車です。もちろん、わたしたちが選ぶ路線は、主キリストが用意してくれたものです。これがまさに私たち人間が生きるべき人生といえます。
人生に遅過ぎることはありません。日清食品の即席めんを開発した安藤百福さんが言った言葉です。「即席めん開発に成功したとき、私は48歳になっていた。遅い出発ともいわれるが、人生に遅すぎるということはない。50歳でも、60歳でも新しい出発はある。」またイギリスのある小説家は「なりたかった自分になるのに、遅すぎることはない」と書いています。 Aさんにとってこれからが第二の人生とも言えます。毎日がゼロから出発として私も精一杯今日も生きようと考えています。Aさんもがんばって下さい。
2014年9月29日(火)

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