聖書にはなぜ矛盾と思われる箇所があるのか

佐倉哲氏の貴重なサイト「聖書の間違い」で指摘されている聖書の間違いについて考えてみましょう。私は佐倉氏の博学と知識に敬意を覚え、またその知識が中途半端なものではなく、多くの書物を読破した結果として深く敬服しています。(おそらく、聖書読破は一般的なクリスチャンよりも数多くなさったのでは?と私は思います。)
聖書の中には、確かに様々な矛盾と思われる箇所があります。これは誰も認めるところです。神を信じている人と信じていない人が議論しても、同じ土俵にあがれませんから、なかなか議論がかみ合いません。ですから、佐倉氏への反論というよりも、一人のクリスチャンの観点から聖書の間違いについての解説として、読者の方に読んでいただければうれしいです。聖書の中にある矛盾点と思われる箇所は、次の3つの理由から起きたと思われます。

1.聖書は長い年月をかけて、多くの違った人間が神の霊感によって導かれ書かれた書物です。たとえば、列王記と歴代誌のおいて、同じ時代の歴史の記録が記されていますが、それぞれの書かれた年代と目的はまったく違うのです。だから、多少のニュアンスの違いはあって当然といえるでしょう。
2.聖書は、原本から長い年月をかけて手書きでコピーをされたものです。手書きであれば誤字脱字はあって当然。数字を思い違いをして、書いてしまうこともありうるでしょう。
3.第三に、聖書を書き写した人が、自ら意図的に書き換えてしまうこともあったと考えられます。つまり、その人の解釈を入れてしまったということです。

オリジナルの原本から5人が書き写したとしましょう。A、B、C、D、Eの写本が出来上がります。それぞれの写本をまた5人が書き写したとします。都合、30の写本が出来上がります。それぞれ、A系統、B系統、C系統、D系統、E系統と名づけましょう。それぞれの系統には、違った特徴、特色が見られるのです。違いもあります。

上に述べた違いを、私はただ単に聖書の間違いと片付けてしまうのではなく、オリジナルが書かれた時代背景や写された過程を考慮して聖書を学ぶべきだと、私は考えています。聖書には間違いがあるから、神を信じられない!と結論付けるのは早すぎます。

皆様はどうお考えでしょうか。ご意見などお寄せ頂ければ幸いです。

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