新約聖書の中の真偽

聖書の中に間違いや真偽と呼ばれる中には、それ程はっきりと真偽とわかる個所は指摘されるほど多くはありません。日本には全国紙と呼ばれる新聞がいくつかありますが、その新聞各社が事件や世界の出来事を報道します。しかし、それらの新聞各社は同じようなことばを使い、まったく同じ内容の記事は書かないでしょう。正確さが要求される新聞報道でさえそれぐらいの事はあるのです。

そこでここでは、はっきりと「違い」がわかる個所を取り上げてみました。
マタイ4章1節1節ー11節   ルカ4章1節ー13節

ここで取り上げる個所ははっきりと2つの記録には「違い」があるとわかる個所です。双方の記録も同じ出来事について記録していると思われます。しかし注意深く読んでみますと、イエス・キリストの誘惑の順序が違いますし、悪魔がイエス・キリストに言っていることばも多少違います。

マタイ4章1節ー11節 「この石がパンになるように命じなさい」--->「下に身を投げてみなさい」--->「私をひれ伏して拝むなら」
ルカ4章1節ー13節 「この石に、パンになれと言いつけなさい」--->「私を拝むなら」--->「ここから飛び降りなさい」

さてこれらの2つの聖句を読んで2つの率直な疑問が湧いてきます。1つの疑問は「マタイの記録とルカの記録のどちらが正しいのでしょうか」という疑問です。2つめの疑問は、「どちらの順序が正しいのかな」という疑問です。翻訳の問題かもしれませんので、私自身、この個所が書かれている原語(ギリシャ語)から訳してみました。原語から見ても上記の翻訳は適当かと思われます。

聖書学の専門的なことはここでは省きます。しかし少なくとも次の2つの事が明らかです。
1. 1世紀の歴史家は正確な年代順や物事の順序について、現代科学や歴史学ほど重要だと思っていませんでした。聖書の著者も例外ではありません。ですから、このような文化背景を考える時、これは真偽とは言えません。

2. 「、、、、、」の中のことばは要約です。現代でも同じ事が言えるでしょう。新聞記者は政府関係の人物や経済界の人物が言ったことを一字一句間違いなく記録する事が求められます。それがいつもいつも可能だとは限らないのも事実でしょう。新聞報道にも編集者の解釈が入ります。正確さが求められる現代でもこのような状態です。聖書の中に違いがあったとしてもそれを真偽や間違いだと解釈するのは不適当でしょう。

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