聖書は語るー愚かな人と賢い人

天の国は、様々な譬えで説明されています。イエスは神の支配を天の国の譬えで説明しておられます。今回の譬えもきっと貴方の心に語りかけるでしょう。ではキリストの譬え話を聞いてみましょう。

「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。 愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。 賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。 ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。 真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。 そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。 愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』 賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』 愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。 その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。 しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。 だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」 (マタイ25章1節ー13節)

主人は神に譬えられ10人のおとめたちはクリスチャンに譬えられています。10人のうち5人は愚かで5人が賢かったのです。愚かな人たちは、ランプは持っていたけど予備の油を持っていませんでした。なぜ愚かだったのでしょうか。(1)花婿の出迎えの準備をしていなかった。(2)花婿が来るとは思っていなかった。(3)彼らは「花婿がいつ来るのを知らされていなかった」と言訳したかも。(4)大事なことなのに予備の油を準備しないで眠ってしまった。
キリストは明日のことについて思い煩うなと私たちに教えています。大事なことのために準備することと思い煩うことはまったく違います。思い煩うとは、変える事が出来ないことを「・・・考えたりする」ことです。「試験に落ちたらどうしよう?」試験に落ちてから考えればいいこと。「明日、雨だったらどうしよう」とか。天気は変えられないから考えても仕方ない。賢い人は、思い煩うのを止めて、出来ることをやって準備をします。愚かな人は思い煩うだけで何にもしない人です。
ところで、愚かな5人が「油を分けてください」と頼むと賢い5人は断ります。これにはどんな意味があるのでしょうか。「求める人には分かち与えるのがクリスチャンではないでしょうか。」最後の審判の時には、「神の救い」は分かち合うことは出来ないのです。鈴木さんがすばらしいクリスチャンであったけど、佐藤さんは最後の審判のために準備をしていなかったとします。有り余る鈴木さんの恵みを佐藤さんに分け与えて佐藤さんも救われる?ことは出来ません。人それぞれが自分の信仰、言動に責任を持ち、準備をきちんとして賢い人間になりなさい、とこの譬えは教えています。実際、神の裁きの時は誰にもわかりません。だからこそ、いつも準備を怠ってはならないのです。キリストの次の言葉が明確に語っています。

「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」(マタイ24章35節ー44節)

ではなぜ神の最後の裁きはまだ来ないのでしょうか。

「愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。」(2ペテロ3章8節ー13節)



千年かかるようなことでも神には一日で終わらせることができます。神の裁きも同様です。千年かかるような裁きでも、神には一日で終わらせることが出来るのです。神は、一人でも滅びることを喜びになりません。だから、神は私たち人間に悔い改めのチャンスを与えるために最後の裁きを引き伸ばしているのです。しかし、何事にも締め切りがあるように神の裁きもいつかくるのです。それは日々の生活を変わりなく送っているときにやってくるのです。それも突然、何の前ぶれもなく・・・あっと!いっている間にやってきます。だからこそ、心の準備、信仰の準備をしておきましょう。

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