キリストの教え

新約聖書にはキリストが直接言った教え、その教えを実生活に置き換えて弟子たちが諸教会に宛てた手紙の中で書き記した教えがあります。ここでは書ききれませんので、そのいくつかの重要な教えをここでリストアップしてみます。

心からへりくだること

「自分には何も誇ることはない」と認めなさいと教えています。むしろ自分が罪で汚れている者として心砕かれる人は、神によって祝福を受けるとも明言しています。日本的な遠慮や謙虚とは違います。謙虚になる以上に心が砕かれ、自分の罪を嘆き悲しみ、神に委ねる信仰の第一歩とも言えるでしょう。

疑わず心底神を信じること

心が騒ぐところには疑いがあります。思い煩いがあります。自分で何とかしなくては・・・という思いが強くなります。考え方、態度、行動も自己中心的になりがちです。むしろ、創造主なる神を心から信じ委ねなさいと教えています。神は貴方を愛しているのだから、貴方が必要なものは全て与えられるとも言っています。

罪は心で犯される

罪は単なる悪い行いではないと教えています。罪の始まりは心にあります。心で悪事を思い考えめぐらすだけで、すでに罪を犯しているとも教えています。たとえば、他人を馬鹿にするだけで殺人にも等しい罪を犯してしまっているのです。また女性をエロな目で見るだけでその人は心で罪を犯しているとも教えています。その逆もありえますが、、、。

見せかけの善い行いではダメ

見かけだけ繕ってるだけで、心の中は真っ黒だらけの偽善を揶揄しています。善い行いを人に見せるためにやっている多くの日本人には耳の痛い教えです。褒められたくて、名声、名誉のために善行を行うのではなく、むしろ誰も見ていないところで、隠れている所で善い行いをしなさいと。隠れている神があなたを祝福していると明言しています。

神の無償の愛

神は人間の罪を憎み悲しんでおられます。人間が罪から悔い改めるのを切に望んでいます。しかし、神は人間を何の見返りも期待せずに愛しておられます。悪人にも善人にも太陽を昇らせ恵みの雨を降らせるのです。神は一方的な愛によって、一人子である方をわたしたち人間の罪の贖いのために十字架につけたのです。これが神の永遠の無償の愛です。

神に倣う者になりなさい

神は聖なる方です。悪、罪を憎み悲しでおられます。人間の苦しみをみて神も苦しんでおられます。そのような慈悲深い方、聖なる方に習いなさいと教えています。神が完全であられるように、聖なる方であられるように、わたしたちも聖なる者になりなさいと戒めています。聖書は、イエス・キリストの生き方、態度、考え方、すべてから学び、キリストにみる従順、純真、誠実、愛をまねるべきだと押しています。

神の御言葉を実践しなさい

キリストの言葉を聴いているだけでは信仰は育ちません。聖書を読んでるだけでもダメですね。結論として次の例えを聞いていただければご理解できると思います。

「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」(マタイ7・24−27)

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