イエス・キリストの権威

イエス・キリストは例えで自分がどのような人物であるかを明らかにします。その例として「わたしは道であり、真理であり、命である。」「わたしは命のパンである。」「わたしはこの世の光である。」このようなことを言う権威はイエス・キリストのどこにあるのでしょうか。ヨハネ8書12節ー19節を読んでみましょう。

イエス・キリストは父なる神から遣わされたと主張します。さらに「自分がどこから来てどこへいくか知っている。しかし、あなたたちは知らない」とも言います。厳密に言えば、イエス・キリストしか真実を知らないのです。誰も天に上った人はいません。ところがイエス・キリストは自分は天から遣わされ父なる神の御言葉を話していると繰り返し主張します。

私は自分がどこで生まれどこで育ったか知っています。それを他の人に伝えたらどうでしょうか。疑い深い人でも私の戸籍謄本を見せれば信じてくれるのでしょう。しかし天には戸籍謄本はありません。イエス・キリストの言葉を信じるか否かは私たち自身の心にかかっているのです。

イエス・キリストは自分の権威で教えているのではありません。その辺を詳しく述べている聖句があります。ヨハネ5章19節ー30節を読んでみましょう。

上記の聖句の鍵は2つあります。
1.「わたしは自分から何もできない。」
2.「また父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。」

自分では何も出来ないことをあえて認めています。同時に、父なる神はすべてを子に任せていると言っているのです。真偽していそうで真偽していない言葉です。なぜなら、イエス・キリストは自分の意志では行っているのでもなく教えているのでもないのです。キリストは、父なる神の御心とおりに従順に宣教して、神の御国を伝えたのです。
ここに実はキリストの教えの本髄があります。弱い者こそ強いのです。神に自分の心の貧しさを告白する人は、心が満たされます。自分の弱さや欠点、至らないところを認めてこそ、主なる神から力をいただけるのです。

神であるイエス・キリスト

イエス・キリストが「神であるイエス・キリスト」という’事実’を検証するには、イエス・キリストご自身の言葉を聞くのが一番ではないでしょうか。最初にヨハネ14章1−13節を読んでみましょう。上記の聖句を読んで、神を信じることとイエス・キリストを信じることは同じであることにお気づきましょう。イエスは「心を騒がしてはならない。神を信じわたしをも信じなさい」と奨励しています。さらに天にいって場所を用意したら戻ってくるとも言っているのです。これはイエス・キリストの再臨を指しています。

イエス・キリストは、人間が神を信じて神に立ち返る唯一の道です。他の道は偽物です。事実はイエス・キリストは神ご自身なのです。イエス・キリストを見た者は神を見たのです。神の神格を感じ取ったのです。(信じるか否かは、私たちの自由です。)

ではもう一つ聖句を読んでみましょう。ヨハネ8章48節ー59節です。
ユダヤ人律法学者たち、教師たちはイエス・キリストに論争を挑みます。8章49節からのキリストの答えに注目してみましょう。
1.自分の栄光を求めない。
2.自分を遣わされた神が私に栄光を与えてくださる。
3.わたしの言葉を守るなら決して死ぬことはない。

これに対してユダヤ人たちは、「父なるアブラハムは死んだ。預言者も死んだ。あなたはアブラハムよりも偉大なのか。自分を何者だと思っているのか。」と問いただします。これに対してキリストの答えは極めて単純明快です。イエス・キリストは、アブラハムが生きていた前から存在していたのです。永遠の神として天にいらしたのです。この方が父なる神によって遣わされ人間として生まれたイエスです。

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