聖書的視点 わたしの日本人論 寛容と融和

イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」 (ヨハネ14章6節ー7節)

日本人は他の人の宗教に対して非常に寛容です。上記の聖句は、神との関係をもつにはイエス・キリストを信じるしか道はないと教えています。この排他性が、日本においてキリスト教がイマイチ根付かない理由でしょう。

日本人は、他の人の宗教を半ば受け入れることも容易にできます。どこへ行っても、宗教は何であれ有名な秘蹟や神殿があれば思わず手を合わせてしまうのが日本人です。お寺の横に神社があり、「神社でついでにお参りしていこう」と墓参りのおまけのようなことも何のてらいもなく出来るのです。

この宗教観には、みんな仲良くやっていくべきという融和の精神が働いているのでしょう。どんな宗教でも結局は同じという考え方です。行くつくべきところはいっしょです。人間の平安、無の境地、悟りに到達したいのです。一般論ですが、日本人は、この悟りの境地にも非常に魅力を感じます。ゆえに、オウム真理教のような一見「寛容と融和」に相反するような宗教にも狂気のごとくののめり込んでいけるのです。

しかし、聖書の教えには、「修行をして悟りを得る」という考え方はありません。むしろ、イエス・キリストを信じることによって、創造主なる神から知恵と悟りを頂くと教えられています。キリストの教えは本当の本物です。貴方にすばらしい人生の知恵を与えてくれます。貴方もイエス・キリストを信じてみませんか。今日も神の恵みに満たされた日でありますように。


2014年6月2日(月)

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