聖書的視点 わたしの日本人論 恥の文化

「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」 (マタイ6章1節ー4節)

日本人は善い事をしても悪い事をしても人の目を意識します。極端に聞こえるかもしれませんが、日本人は人が見ているから「やるやらない」を決めることが多いのです。私たちの教会の裏に児童館があります。そこの庭には、ゴミを捨てないように注意する小さな看板がありました。「ここはゴミを捨てる場所ではありません。人が見ていますよ。」この看板の殺し文句は「人が見てますよ」です。人が見ているからやらないように促しているのです。逆を言えば、人が見ていなければやってもいいよとも言っているように聞こえます。こんな小さな看板にわたしは日本人の恥の文化を見出します。

日本人は悪い事をした場合、「恥ずかしいことをした」を言ったりします。先に恥が人の心を覆うのですが、罪の意識はそこには希薄です。おそらく、後になって本当に悪い事をしたと思うのかもしれません。

わたしの町内会では春夏にお祭りがあります。ご祝儀を持ってくる人の名前と金額が、大きな立て看板に貼られます。もしこの看板がなかったらどれほどの人たちがご祝儀を持ってくるでしょうか。キリストは、わたしたちのこんな心を見透かしたかのように語ります。

あなたはキリストの言葉を聞いてどう考えますか。自分に当てはめて考えてみましょう。けっして他人事ではないはずです。計算づくの打算的な思いはないでしょうか。今日も素晴らしい日でありますように。

2014年6月7日(月)

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