聖なる神

神は聖なるお方です。多くの方々にとってこの意味も聞きなれない言葉ですね。真実の神がどんなお方であるか理解するうえで、非常に重要なテーマです。最後の項目ですが、おそらく聖なる神の意味を理解しなければ、神を知った、理解したとはいえないでしょう。

聖なる神は、私たちが聖なる神にならい「聖なる者」になることを望んでおられます。1ペテロ1章13節ー17節に詳しく書かれていますので、そこを読みましょう。

しかし、聖なる神は聖なる愛を持っておられる方です。何でもかんでも赦してしまう神ではありません。聖なる愛によって人々を裁くのです。

おそらく「神の裁き」なんて聞くと読む気もうせてしまうかもしれませんね。そんなこと思わないでちょっと時間をとって読んでみてください。「地獄に仏」ということわざが日本には昔からあります。諺辞典で調べますと「非常に困っている時や危ない時などに予想外の助けに出会い、喜ぶことのたとえ」とあります。しかし、この本来の意味はべつに、言葉どおりの意味、「地獄には仏様がいる。そしてそこで謝れば赦してくださる」が一人歩きしているような気がします。

罪を裁く神

ヨシュア記24章19節ー20節を読みましょう。

24:19 ヨシュアはしかし、民に言った。「あなたたちは主に仕えることができないであろう。この方は聖なる神であり、熱情の神であって、あなたたちの背きと罪をお赦しにならないからである。
24:20 もし、あなたたちが主を捨てて外国の神々に仕えるなら、あなたたちを幸せにした後でも、一転して災いをくだし、あなたたちを滅ぼし尽くされる。」

神は聖なる方です。 聖なる方は罪を裁く神でもあります。 聖なる神は、「罪を憎み、人を憎ません。」旧約の時代には、神は罪を犯している人間を見てありとあらゆる手段で御言葉を伝えました。それでもイスラエルの人々は聞きませんでした。そこで何万、何十万という多くの人々が神の裁きを受け死んだのです。また異国の地に連れて行かれ奴隷となったりしたのです。

今日でも神の裁きの基準は変わりません。「旧約の神は裁きの神であり、新約の神は愛の神であるから、イエス様が人を地獄に追いやるようなことはない」とおっしゃる方が多くいます。しかし、この理解には多くの誤解があります。三位一体の神は、旧約の時代から今までそのご性質を変えてはいないのです。

イエス様は言っています。マタイ7章21節ー23節を読みましょう。

誰も彼もが救われるとは限りません。ましてクリスチャンと呼ばれる人たちがすべて救われるとも限らないのです。主の御心をおこなった人々が救われるのです。一見、厳しい言葉のようですが、当たり前といえば当たり前でしょう。イエス様を主と呼びながらイエス様の意志と反対のことをやっていたらNGです。しかし、私たちは、神の恵みによって救われていますから、これは100%完璧になるという意味でもありません。むしろ、日々、罪を告白して悔い改める決心をするのです。たまにはいい日もあるでしょう。何事も順調にいく時もあります。それでも毎日が悔い改めの日と考えましょう。主イエス様の御心を求めましょう。 ヘブル書10章26節ー29節にはこんな厳しい言葉があります。よくよく考えるとびっくり!

クリスチャンが故意に行っている罪を続けていれば、その裁きは旧約の時代の裁きよりも重いというのです。なぜなら、旧約の時代はいけにはひつじ、うしといった動物でした。しかし新しい契約の下でのいけにえは、イエス様ご自身なのです。この方のいけにえの価値の重さを考えれば当然です。神自ら私たちのための罪のためにいけにえになられたのですから。十字架で示された神の恵み、憐れみを侮ってはいけないのです。神の裁きはあります。天の御国もあれば、その逆に永遠に苦しむ地獄もあります。神は脅しで私たちにこのような事を言っていません。

いずれすべての人が、クリスチャンもクリスチャンでもない人も裁かれる時がきます。(ローマ2章16節、ヘブル9章27節、2コリント5章6節ー10節)

クリスチャンではない方も、真剣にお考え下さい。教会に行き聖書を学んでください。そして祈ってください。神はあなたの真剣な祈りを聞いてくださり、きっとよい教会へとあなたを導いてくださるでしょう。

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