信じる事の難しさと易しさ

信じることは一概にむずかしいことです。 それには様々な理由があるでしょう。そのいくつかを考えてみましょう。信じるという事は、だまされるかもしれないというリスクを負っています。 この世の中は、人を信用するにはあまりに世知辛い世の中になってきています。多くの人たちがだまされて、何か高額のものを買わされたり、 不良品を買わされたりしています。また政財界では常に不正が行なわれ、誰一人として真実を語らないのが常です。 またはプロスポーツでは、多くの人が薬物を使い、それが発覚しても否定し続けています。

さらに宗教の世界では、多くの新興宗教が多くの人から、 高額の御布施をだましとった犯罪行為として検挙されています。カルト的な宗教では、信者たちが殺人という犯罪まで犯してしまったのです。 伝統的な仏教の世界でも問題はあります。戒名料がなぜあんなに高いのか、とテレビや新聞紙上をにぎわしています。 このような世の中で、信じるということは、あまりに多くのリスクを負っているわけです。

信じるということは、人に委ねるということです。 人に委ねる時、私たちの立場は非常に不安定なものですし、また事実不安を覚えます。たとえば、私の3才になる子供が、 地面から2メーター近くの所にいたとします。私は下で待っていて、手を差し出して「飛び降りなさい」と言います。 私の子供は横の階段で下って降りてくるか、私を信じて勇気を出して飛び降りるかの、どちらかの選択があります。 飛び降りる場合、私の子供はすべてを私に委ねているのです。これは非常に不安なことです。まだ一度もやったことのないことですし、 高さに対する恐怖もあります。これと同じようなことが、人を信じる時にはあるのです。しかし、信じるということは実はやさしいことなんです。 難しくしているのは私たち自身です。私の子供は実際に私を信じて飛び降りました。そして大喜びではしゃぎました。なぜ私の子供は飛び降りたんでしょうか。 そこには私が絶対に捕まえてくれる、という信頼感があったのです。嘘は絶対にない、と思ったのでしょう。

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