聖書の教えを仏教葬儀に適用すると、、、。

日本の葬式の中で一般論ですが、死なれた方は御仏になると言われます。または成仏されるようにと盛大なお葬式を行う慣習もあるようです。お通夜の晩にはお線香、お花、亡くなられた方の生前の写真などが飾られますが、ちなみに花が飾られるのは古今東西変わりはないようですね。私が幼少の頃、親類が亡くなった時など、「おばあちゃんの霊を寂しがらせてはいけない」と、一晩中起きていたのを覚えています。読者の皆さんもそのような経験をお持ちですか。 亡くなられた方は御仏ですから礼拝の対象になりますから、仏壇に向かって「今日も守ってください」と祈るようです。ここまでは日本で一般に行われていると思われる事を私なりに観察して書いてみました。地域によって多少の差はあるかもしれません。

聖書から読み取れる原則

1コリント8章、10章から次のような原則を知ることが出来ます。(1)仏像、亡くなられた方には何の力もないということです。生ける神様以外に本物の神はいません。偶像は人間の手によって造られたものに過ぎないのです。(2)仏教葬儀に出席する事自体は、神社仏閣に人を訪れるようなことであり何ら罪にはなりません。なぜならそれらの偶像には何らの力もないからです。(3)その知識をもったクリスチャンは、たとえ仏教葬儀に出席したとしても、偶像である仏像や亡くなれた方を礼拝することなどしません。1コリント10章によれば、それらを礼拝する事自体、悪魔を礼拝する事になってしまいます。(4)しかし、すべてのクリスチャンがこのような知識を持っているわけではありません。他のクリスチャンの躓きになるようであれば、自分の良心のためではなく他のクリスチャンの良心のために、仏教葬儀への出席は控えた方が良いと思います。

しかし、出席せざる得ない場合があります。そんな時はどうしたら良いのでしょうか。丁寧に自分の信仰を告白しましょう。来ている方の宗教、信仰を敬いつつ丁寧に聖書が教えるところの信仰を説明しましょう。亡くなられた方を礼拝することになる焼香はできませんと丁寧にお断りしましょう。ご親族の方々の悲しみを理解して決して失礼にならないようにしましょう。彼らの悲しみを聞いてあげましょう。クリスチャンはクリスチャンではない方のためにも、つまずきになるようなことをしてはいけません。丁寧、親切、愛を持って接する事によって伝道・宣教につながります。次の聖句は、クリスチャンではない方に私たちが善い行いをする事は神様の御心にかなった事だと教えています。

3:15 むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。3:16 ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。3:17 もし、神のみこころなら、善を行なって苦しみを受けるのが、悪を行なって苦しみを受けるよりよいのです。(1 ペテロ2:11-15、3:14-3:17)

パウロは偶像の都市アテネで説教をしました(使徒行伝17:22−31)。偶像の神々を信じている人たちを軽蔑したでしょうか。またはイスラム過激派がアフガニスタンの仏像を壊したようなことをしたでしょうか。むしろ、パウロは彼らの宗教深さを認めて、真の神様、生ける神様にたちかえりなさいと訴えています。皆様が勇気をもって愛をもってキリストへの信仰を告白できるようにお祈りします。

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