旧約聖書、旧い契約下における戦争の存在

8月6日は広島原爆の日、8月9日は長崎原爆の日。日本では、被爆国の故でしょうか?他国よりももっと世界平和が叫ばれているように思えます。さらにクリスチャンの間ではなおさらのように思えます。しかし、そのように主張している私たちクリスチャンがどうしても無視してはいけないことがあります。また、聖書の信憑性を語るときにどうしても通らなければならない道があります。それは「旧約聖書と戦争」というテーマをどのように解釈するかです。旧約聖書には戦争が記されているのに、盲目的に「平和!平和!」と叫ぶのは無責任のように私には思えます。クリスチャンには、クリスチャンではない人に対して説明責任を負っていると私は考えていますので、敢えてこの難題に答えたいと思います。

佐倉哲氏のサイトでこのテーマについて書かれています。非常に誠実に率直に書かれています。ここでは、まずイスラエルの歴史を振り返り戦争の存在を認識してみましょう。イスラエルの人々は、約400年間、エジプトの地で奴隷として働かされていました。その人たちは、神の約束と契約に基づきエジプトから出てカナンの地(現在のパレスチナ、イスラエル)の向かいました。カナンの地に着いた時、イスラエルの人々は神の命令に従ってカナンの地を占領します。その箇所を読んでみます。

ある町を攻撃しようとして、そこに近づくならば、まず、降伏を勧告しなさい。もしその町がそれを受諾し、城門を開くならば、その全住民を強制労働に服させ、あなたに仕えさせねばならない。しかし、もしも降伏せず、抗戦するならば、町を包囲しなさい。あなたの神、主はその町をあなたの手に渡されるから、あなたは男子をことごとく剣にかけて撃たねばならない。ただし、女、子供、家畜、および町にあるものはすべてあなたの分捕り品として奪い取ることができる。あなたは、あなたの神、主が与えられた敵の分捕り品を自由に用いることができる。このようになしうるのは、遠く離れた町々に対してであって、次に挙げる国々に属する町々に対してではない。あなたの神、主が嗣業として与えられる諸国の民に属する町々で息のある者は、一人も生かしておいてはならない。(申命記20章10節ー16節)

さらにイスラエルの民がカナンの地に住むようになった以後も、同様に神はある人々を皆殺しにしなさいという命令を与えます。

万軍の主はこう言われる。イスラエルがエジプトから上って来る道でアマレクが仕掛けて妨害した行為を、わたしは罰することにした。行け。アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」(1サムエル15章2節ー3節)

このような聖句を私たちはどのように理解したらよいのでしょうか。私自身、このような聖句について真剣に向き合ったのはクリスチャンになってからですが、このような聖句を盲目的に信じたわけではありません。むしろ、私は神が命令した戦争の事実にどのように向き合うべきかを長い間考えました。私なりの結論を読者の皆様と分かち合いと思います。しばらくの間、このトピックに焦点をあてて毎週更新していきますので、楽しみにして待っていてください。
2014年8月6日(水)

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