旧約聖書、旧い契約下における戦争の理由

「クリスチャンは『神は愛である』と言っているのに、なぜ旧約聖書では戦争が肯定されているのでしょうか」とクリスチャンではない方からよく聞かれます。実は、多くのクリスチャンの方々もこの問題について何となく疑問に思っているのではないでしょうか。戦争は、神の命令に従ってイスラエルの人々がカナンの地を奪い取るという形で記されています。また、イスラエルの人々が戦ったその他の戦争も記されています。では、なぜ神はイスラエルの人々にカナンの地を略奪しなさいと命じたのでしょうか。この疑問についてちょっとつっこんで考えてみましょう。戦争の存在を聖書から認めたので、戦争の存在理由も聖書から議論していきます。最初に次の聖句を読んでみましょう。

主はアブラムに言われた。「よく覚えておくがよい。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。しかしわたしは、彼らが奴隷として仕えるその国民を裁く。その後、彼らは多くの財産を携えて脱出するであろう。 あなた自身は、長寿を全うして葬られ、安らかに先祖のもとに行く。ここに戻って来るのは、四代目の者たちである。それまでは、アモリ人の罪が極みに達しないからである。」(創世記15章13節ー16節)

主なる神は、アブラハムの子孫であるイスラエルの民が400年間エジプトで奴隷となりその後、アモン人(カナンに住んでいた人々)の罪が満たされた時に、カナンの地に移り住むことを預言します。

9:4 あなたの神、主があなたの前から彼らを追い出されるとき、あなたは、「わたしが正しいので、主はわたしを導いてこの土地を得させてくださった」と思ってはならない。この国々の民が神に逆らうから、主があなたの前から彼らを追い払われるのである。 9:5 あなたが正しく、心がまっすぐであるから、行って、彼らの土地を得るのではなく、この国々の民が神に逆らうから、あなたの神、主が彼らを追い払われる。またこうして、主はあなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われたことを果たされるのである。 (申命記9章4節ー5節)

イスラエルの民はカナンの罪を裁くために主なる神が使われた器でした。そのために神はカナンの人々を容赦なく滅ぼしたのです。罪に関する限り、神はえこひいきはしません。神はイスラエルの民も彼らの罪ゆえに同様に裁かれました。イスラエルの首都、エルサレムは略奪され人々は滅ぼされました。(2列王記24章2節ー4節)
奇しくも8月15日は終戦記念日です。多くの場所で平和が叫ばれます。もちろん、クリスチャンは武力に対して仕返しはしません。無抵抗でいるべきです。しかし、残念ながら人間がこの地にいる限り戦争は終わることはないでしょう。主なる神は、人間の悪を用いて悪を裁く時があります。どの戦争が単なる人間のわざであり、どの戦争に神が関わっているかは言えません。ただ、ハッキリいえることは、神はこの世における人間の邪悪な罪に対してどんな方法にせよ裁きを行われることです。
2014年8月16日(水)

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