新約聖書、新しい契約下における戦争について

旧い契約下では、人間の罪に対する裁きとして主なる神は戦争を使いました。悪をもって悪を制したのでした。神の民であったイスラエルの民も神の御心に反して罪を犯したゆえに、紀元前586年にバビロニヤ帝国によって滅ぼされました。他の諸国も罪ゆえにバビロンやエジプトといった大国によって戦争の過程で滅ぼされたのです。

さて目を移して新しい契約下ではどうでしょうか。人が人の命を奪うーこれはいつの時代においても悲劇に変わりはありませんが、神の許しがなければこのようなことも起きないのです。キリストが来るまで、創造主なる神はこのような戦争を人間の罪への裁きの道具として使いました。しかし、三位一体の神は、天におられた神の子を人間イエスとして生まれさせ、人間の罪の贖いのためにこの方を十字架につけたのです。この方イエス・キリストを信じる者の罪は赦され罪から解放されたのです。キリストの死はクリスチャンのためにあるのでありません。全人類のために死なれたのです。新しい契約では新しい基準があります。神は、旧い契約下で行った「人間の罪に対する裁きー戦争で罪人たちを滅ぼす」という形で人間を裁くのをお止めになり、イエス・キリストの十字架により人間の罪をお赦しになられました。新しい契約下では、すべての裁きの権威をイエス・キリストに委ねられたのです。今、イエス・キリストは天にいらしてすべてを支配しておられます。神の御心は、今イエス・キリストの御言葉によって示されました。その箇所を読んでみましょう。

「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。(マタイ5章38節ー40節)

キリストを信じる者は悪に対して悪を返すのではなく、善によって打ち勝たなければなりません。仕返しという負の連鎖は断ち切らなければなりません。

「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(マタイ5章43ー48節)

創造主なる神は、すべての人間を愛しておられます。神が愛しておられる人々を憎むことが出来るでしょうか。敵のような人であっても神の愛によって接しなさいとキリストは教えています。私たち人間の役割は人を裁くことではありません。悪人を裁くことでもありません。最後の裁きは、神がイエス・キリストによって最後の日になされるしょう。それまで、私たちは神の愛によって人間同士の争いを一切やめて、愛を実践して生きていくことが求められているのです。それは時に難しい判断を求められますが、イエス・キリストが天から見守り素晴らしい知恵と愛と力と勇気を与えてくださるでしょう。最後の裁きが行われるときまで信仰を堅く保ち生きましょう。
2014年8月29日(金)

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