聖書的視点ー命の重たさ

東日本大震災以来、命の重たさがより一層叫ばれるようになりました。今年に入って多くの災害が起こりました。また、多くの痛ましい事件、耳を疑うよう様な事件も起きました。多くの方々が様々な理由で命をなくされました。

私たちの命は創造主なる神の贈り物です。確かに命は大切なものです。では命と命の使い方、どちらが重要でしょうか。命を道具と考えたらどうでしょうか。道具はある目的をもって造られています。包丁は肉や野菜を切ったりするために造られたものです。人を傷つけたり殺したりするために造られたのではありません。野球のバットはボールを打つために、暴力の道具でありません。道具は悪用されることがあります。道具と道具の使い方、どちらが大事でしょうか。道具の使い方のほうが大事です。道具をどのように使うかによってその道具が生きてくるのです。実は人間の命も同じです。キリストは次のように言っています。

「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」(マタイ10章26節ー31節)

創造主なる神は人間を愛しておられます。人間が、神によって創造された人間らしく喜びをもってお互いに助け合い愛し合うように造られたのです。しかし、人間は罪ゆえに時にはお互いを憎むような関係を作ってしまったのです。だから、私たち人間は複雑な人間関係において他の人に媚びたりするのです。

しかし、キリストは人間を恐れるのではなく、人間の魂も体も滅ぼすことができる神を恐れなさいと言っています。確かに、神は人をその罪ゆえに裁くことができる方です。人の命を滅ぼすことができるのです。この意味では、人の命は私たちが考えているほど重くはないかもしれません。むしろ、その命をどのように使うかが問われていると私は思います。つまり、私たちの命をどのように生きるかです。神を恐れ敬って生きていくのです。これこそが神によって創造された人間の本分なのです。

この聖句の後では、キリストは最初の部分の教えとは逆と思われることを言います。神は人の髪の毛の本数さえも知っていると。神はそれだけ人一人ひとりを愛されていると。雀さえ神のお許しがなければ地に落ちることがないと言っています。つまり、すべての命が神によって守られているだと明言しているのです。ゆえに人は何も恐れることはないと・・・・。この素晴らしい神の愛によって守られて神を恐れ敬い神を信じていくのであれば、実際、この世に何も恐れるものはないのです。

あなたは命をどのように使っているでしょうか。確かに命は大切、健康も大切、すべて大切ですね。その中で一番大切なものは?贈られた命をどのように使うかです。今日も素晴らしい神の恵みの日でありますように。
2014年9月5日(金)

聖書ーキリストは人生を変える サイト内検索 グーグル

Designed by CSS.Design Sample