聖書がすべての基準    

教会のすべての基準は聖書にあります。神様の御言葉は今日も 生きており、私たちに語りかけています。私たちの心をも刺し 通す力を神様の御言葉は持っているのです。聖書の御言葉を基準に、私たちは裁きの日に申し開きをしなければなりません。


聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。 こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。(2テモテ3章16節ー17節)

また神様の御言葉は、私たちの過ちを指摘して悔い改めへと導 いてくださいます。生活の面において、また教会生活において も、神様は御言葉を通して私たちを正してくださるのです。

ですから、聖書以外の書物を教会の教えの基準にすべきではあ りません。ある有名な牧師先生が書いた本が基準でもありませ ん。また有名な宗教改革者の著書が、教会のすべきこと、やるべきことの基準にもなりえません。

新しい契約下では個々のクリスチャンが聖書の言葉を読み神様に申し開きをしなければならないのです。聖霊なる神様は私たちが祈れば真理を教えてくださるのです。誰それに神様の御心は何ですか、と聞く必要もないのです。私たち、キリスト者は 、自分の信仰に責任を持つべきです。裁きの日に、「あの牧師先生が・・・と教えていましたから私 は信じていました。」と言うのでしょうか。また別の教団に属 して違った教理を信じている人が同様のことを言うのでしょう か。はたして、裁きの日にこのような言い訳が通じるのでしょ うか。

多くの日本人は自称「無宗教」を自認しているのではないでしょうか。お葬式の時初詣の時などに手を合わせるくらいで、後は祈りなどした覚えはないという人は多いのです。(一部の新興宗教を除いてですが、、、。)ですから、聖書と聞いてもあまりピンとこないと考えられます。多分、西洋の文化の一部くらいにしか考えているのではないでしょうか。

改めて聖書がどのような書なのかを知っていただけたら幸いです。もしかしたら誤解があるかもしれません。先入観もあるかもしれません。キリスト教を名のるいろいろな宗教があって迷っている方もいるでしょう。あるいは、しつこい勧誘を受けてほとほと心労的に参ってしまったと感じている人もいるでしょう。

そんな方の誤解や先入観を取り除き、自分自身で聖書を読んでいただけたら、このうえない喜びです。願わくば、お近くの教会に足を運んでみみてください。当サイトが掲げるモットーは「聖書がすべての基準」です。ある牧師の教えが基準にはなりえません。または有名な神学者の教えも基準ではありません。またはある教派の創設者の教えや考え方が基準でもないのです。

聖書には様々な倫理的、道徳的な教えが含まれています。教養を養うのにも役にたつでしょう。どんな動機でもかまいませんから、まずは聖書を読み始めましょう。男性にはヨハネの福音書をお勧めします。女性にはルカの福音書が理解しやすいかと思います。 また神の御言葉は、私たちの過ちを指摘して悔い改めへと導 いてくださいます。生活の面において、また教会生活において も、神は御言葉を通して私たちを正してくださるのです。

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